[編集] 日通との事業統合について
この節には現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。性急な編集をせず事実を確認の上投稿してください。
民営化から間もない2007年10月5日、日本郵政と宅配便業界第3位の日本通運が、宅配便事業の統合を含めた包括的な業務提携を結ぶことで合意し、基本合意書を締結したことを発表した[1][2]。
現時点での合意事項は以下の通り。
2009年4月1日を目処として郵便事業会社と日通の出資により新会社を設立し、両社の小包・宅配便事業(「ゆうパック」「ペリカン便」)を移管
出資比率とブランドの扱いについては法人発足までに日本郵政と日通の間で調整
日本郵政と日通の間で相互に株式を持ち合うことも検討
今回の事業統合の狙いは、効率化を図り業界内での競争力を高め、圧倒的なシェアを誇るヤマト運輸や佐川急便と対抗する点にある。両社は旧公社時代からコンビニエンスストアでの「ゆうパック」の集荷やスキー・ゴルフ用具の配送などで連携してきた経緯がある。
看護師 求人
日本郵便は全国各地の郵便局ネットワークを生かした物流網を持ち過疎地などでの配送に強い一方、郵政三事業が解体されたことで貯金・保険の儲けで郵便の赤字を埋めることができなくなり、新たな収益源を求めていた。他方、日通は企業向けの配送に強いが宅配便事業では遅れをとり、会社全体の足を引っ張る格好となっていた。今回の統合は互いの長所で互いの短所を埋め合わせるものとなったが、ヤマト運輸などは民営化された現在でも「民業圧迫だ」としてJPグループを批判しており、公正取引委員会などに異議申し立てが行われた場合、統合が白紙撤回される可能性もあるだけに今後具体化される統合計画の中身が注目されている。ゆうちょ銀行とかんぽ生命の場合と異なり、郵便事業・郵便局に関しては現時点では完全民営化の予定は無く、一定の割合で国が関与することになっている。
[編集] 関係項目
郵便
日本郵政公社
仕事
日本郵政
郵政民営化
郵便認証司
南海バス - 関西空港内に郵便事業会社前というバス停がある。
[編集] 提供番組
日本郵政#提供番組を参照
[編集] 脚注
^ 日本郵政株式会社と日本通運株式会社との基本合意書の締結に関するお知らせ・日本通運・2007年10月5日
^ 日本郵政株式会社と日本通運株式会社との基本合意書の締結について・日本郵政・2007年10月5日
[編集] 外部リンク
日本郵政グループ
日本郵政株式会社
郵便事業株式会社
[隠す]表・話・編・歴日本郵政グループ(JPグループ)
JP各社 日本郵政 - 日本郵便 - 郵便局 - ゆうちょ銀行 - かんぽ生命
前身 日本郵政公社 - 郵政事業庁 - 郵政省 - 逓信省
旧契約の引継 郵便貯金・簡易生命保険管理機構
スカウト
この「郵便事業」は、日本郵政グループに関連した書きかけの項目です。この記事を加筆・訂正などをして下さる協力者を求めています。(ウィキプロジェクト 日本郵政グループ)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B5%E4%BE%BF%E4%BA%8B%E6%A5%AD" より作成
カテゴリ: 議論が行われているページ | 節現在進行 | 日本郵政グループ関連のスタブ記事 | 日本郵政グループ | 郵政民営化 (日本) | 災害対策基本法指定機関
郵便
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
郵便配達の様子郵便(ゆうびん)は、はがき・封書や小包などの郵便物のこと、またはこれを送達する仕組みのことである。
特殊取扱としない通常郵便物(手紙・はがき)は、料金相当分の切手を貼付し、郵便ポストに投函することで、郵便事業者により、宛先の住所の郵便受け、あるいは私書箱等へ送達される。
目次 [非表示]
1 郵便の歴史
2 日本の郵便
2.1 日本の郵便の歴史
3 関連項目
4 外部リンク
転職サイト
[編集] 郵便の歴史
古代エジプト第12王朝時代には手紙を運ぶことを生業とする人が居たことが知られているが、一定の組織を持ち制度化されたのは紀元前6世紀半ばの古代ペルシアにおいてであった。広大な帝国の統一のため情報の伝達と収集が重要になり、王の道と呼ばれる公道が整備され、リレー方式による伝令制が開設された。ペルシアのこの制度を倣った古代ローマの駅伝制は「クルスス・プブリクス」(公共便)と呼ばれ、馬と馬車が用いられた。軍事・政治上の要請から出たもので、当然のことながら公的な通信のためのものであった。中国の郵便制度も古く、体系的に整備されたのは唐の時代であるが、すでに周の時代にその芽生えがあった。道路には駅が設けられ、その駅から駅へ送り継ぐことを逓と称し、駅逓という言葉はここから生まれた。また重要な町には伝が設けられ、伝には馬車が備えられた。駅伝という言葉はここからきたものである。
ヨーロッパでは中世になると、王室の飛脚のほか僧院の使者、学生とその故郷を連絡した大学飛脚、都市と都市を連絡した都市飛脚、肉を急いで運ぶ馬車に信書を託した肉屋郵便等が出現し、一般の人々の信書を取り扱うものも出現し、公衆通信の門が開きはじめた。イギリスではキングズ・メッセンジャーが近代郵便制度が確立されるまで郵便の主体となったが、王の使者の制度は12世紀に制度化された。14世紀から15世紀のランカスター朝、ヨーク朝になると、商工業活動、なかでも毛織物工業が発達したことにともない、一般の人々の間でも通信の必要性が高まった。ノーフォークのジェントルマンであったパストン家の書簡が多数残されており、当時の郵便事情を知る上での貴重な資料となっている。フランスでは、パリ大学が1230年に大学郵便を設け、一般人をも含めた郵便事業を行った。これに対抗したルイ11世は1464年に王室用の駅逓制度を創設し、あわせて民間をも顧客としたため、1719年まで官民の競合が続いた。イギリスではヘンリー8世期の1516年に王の秘書官ブライアン・チュークを駅逓頭に任命したことによって、本格的な駅逓制度が確立された。これは幹線道路に20キロメートルごとに宿駅を設定して人と馬を備えたものであるが、利用できるのは飛脚便の使者、官吏、政府の幹部等に限られていた。神聖ローマ帝国においてはフランツ・タクシスの提言により1516年に国内の郵便の取扱いに関する独占権をタクシス家に与え、一般の利用者からの収益で経営させる代わりに政府の郵便を無料で扱わせた。この郵便網はヨーロッパの主要地に至り、その郵便馬車は人々から親しまれるものとなった。
1620年になると、イギリスではキングズ・ポストに対してトラベリング・ポストと呼ばれる制度がサミュエル・ジュードという商人によって開設され、官営と民営の競争が始まった。弁護士のジョン・ヒルは1652年にロンドン―ヨーク間に郵便路線を開設し、官営の半額の料金で手紙や小包を取り扱った。ヒルは1659年に料金の安い郵便制度の創設を『ペニー郵便』という小冊子で提案している。これを実行し発展させたのが商人ウィリアム・ドックラであり、1680年にロンドンにペニー郵便を創設した。これは、ロンドン市内とその周辺なら料金は1ペニーの均一制であり、料金前納制の戸別配達が特徴の一つであった。しかしドックラのペニー郵便は1683年に禁止され、その後官営の郵便料金は値上げを重ねた。1832年、ローランド・ヒルが登場し、料金の値下げと重量別の全国均一料金制、切手を用いることを提言した。この改革案は1840年1月から実施され、同年5月1日にはペニー・ブラックと呼ばれる世界最初の郵便切手が発行された。この制度は、ブラジル、アメリカ、フランス、ドイツ等に早速採り入れられた。
各国の郵便制度の整備、発展が促進される一方では、各国間の制度上の違いが運営上の障害ともなりはじめた。基本的な事項を調整し、円滑な業務運行を促進するため、アメリカの郵政長官モンゴメリー・ブレアの提案により、1863年にパリで国際会議が開かれ、続いて1874年にはスイスのベルンに22ヵ国の代表が集まって国際会議が開催された。この会議においてドイツのハインリヒ・ステファンが提唱したことを契機に、翌1875年に万国郵便連合が結成された。この連合の結成により国際的な規模での近代的な郵便制度がスタートすることになった。こうしたプロセスの中で鉄道郵便車が1838年に登場し、1852年には郵便ポストがイギリスに設置され、1856年にはロンドンを10エリアに分けて符号化した郵便番号が出現した。葉書はステファンの提案でオーストリア・ハンガリー帝国が1869年、イギリスが1870年から発行を開始した。